
最高裁判所大法廷(https://www.courts.go.jp/vc-files/courts/top/img-main-visual-01.jpg)
岡田新一が残したもの
私が建築を学んだ岡田新一は、打ち合わせ時には赤ペンでメモを取り、それを赤いファイルに仕事ごとに閉じる作業をひたすら行ってきた「メモ魔」です。それらの資料は建築家の思考をたどるうえで大変興味深いものではあるのですが、生資料であるがゆえに研究も難しい部分があります。それから、多くの著作物を残しています。これは公にされているものであり、文献としての研究に値するものと考えています。
岡田新一が続けた「勉強」
岡田新一自身「初心」という言葉とともに、「勉強しなさい」ということをよく言っていました。なぜ建築設計をやりたいと思ったのかを見つめ、そこに対しての深みを増していくことに力を注いていた人だと思います。そして、一人でやることを信じていない(誤解を招くかもしれません)人でした。雑誌の切り抜きを「京大カード」に貼り付け、ボックスファイリングをする作業を若い所員にやらせていました。私も入所と同時にその作業を行う担当者に指名されました。
出来上がったカードを届けたときに、「人間が考えられることには限界がある。良いものは良い、それを積み上げていかないと、さらに良いものなんか作れるわけがないだろう」といわれたことを覚えています。「知」は学びの継続の中にあるというのが伝えたかったことなのだろうと考えています。
「勉強」の広がりを紐解いていきたい
私は岡田新一設計事務所を退職するにあたり、岡田新一が雑誌に発表した著作物のデータをほぼすべていただくことを許可いただき、手元に保有しています。膨大な量の資料であり、すべてを読み解けていませんが、時代により言説のテーマが変わっていっていることは確かです。
事務所に在籍した時に直接、岡田新一から指導を受けた身としては、鹿島建設時代にアメリカで受けた建築教育と、設計事務所の在り方、それと建築を生み出す仕組み、そこから生まれる作品性に対する深い洞察からくる言葉が多かったように思います。岡田新一が建築家人生を全うした筋は、アメリカに渡った時代に作られたものであることは間違いありません。
岡田新一は、最高裁判所を1974年に竣工させて以降、70年代後半から80年代前半まで代表作を世に送り出すことに苦しんだ時代があったと本人から聞きました。その時代のことを「勉強した時代だ」と岡田新一は言っていました。確かに、函館の街づくりのレポートなどは、理論と実践につながる建築的な「勉強」の成果をいえると思います。

函館市旧金森倉庫街(https://hakodate-kankou.com/media/2023/11/IMG_2921.jpg)
さらに、ビルディングタイプ、特に病院建築に対する予見、洞察など書籍化されているように、「建築計画学」の観点を実作の中で、示していっています。
さらに、晩年は、首都移転問題に対して取組み、書籍化をしています。首都を東京に置く意味やそのための方策を、建築的な課題はもとより、政策や地方へのまなざしを含め、道州制という新しい国の形を提案するに至る「勉強」を最後まで続けていました。
すでに岡田新一が逝去してから10年がたちます。私の建築家人生を見直す意味で、岡田新一という大建築家の「勉強」のテーマの広がりを体系的にとらえてゆく作業をやってみたい。このように思い、このテーマのコラムを一つの軸に据えました。
膨大な資料は版権などの課題もあるかもしれません。ですが、まずは私的なとりまとめにおいて利用するとの認識で、進めてゆこうと思います。書籍化、その他の時にこの課題には向き合いたいと思います。
まずは、私自身の勉強開始の「初心」をまとめておきました。