
メタボリズムの時代
1960年に東京で開催される予定であったCIAM(Congrès International d’Architecture Moderne・シアム・近代建築国際会議)が崩壊の結果、あえなく開催中止となった。その準備に携わっていた建築家達(浅田孝、菊竹清訓、黒川紀章、大高正人、栄久庵憲司、粟津潔、槇文彦)と建築評論家の川添登は、建築の将来について話し合うグループを結成した。世界デザイン会議において、彼らは最初の宣言である『METABOLISM/1960 – 都市への提案』を発表し、(「一分でわかるメタボリズム」シリーズ参照ください(森美術館公式ブログ)面白いです。)新陳代謝する巨大都市のアイデアを披露した。
1956年に経済白書に「もはや戦後ではない」と記されたことは有名であるが、同時に産業構造の変化による都市、特に東京への人口流入は加速し、その解決をいわゆる「フロンティア」である、海、空に求め、その広大な空間資源を、「生命的成長」という哲学により解決しようとしたのがメタボリズムと理解している。
多くの試行と共に成功を収めることはできなかったが、住宅規模でない、都市と生活というレベルでの問題解決手段を論じる「大衆運動」は後にも先にも、このムーブメント以外に日本では起こっていないと私は理解している。

昭和31年7月17日付読売新聞 「もはや戦後ではない」

中銀カプセルタワービル(黒川紀章)※2022年解体
この作品は岡田流メタボリズムかな?と思う。
上記理論に対し、今回取りあげる記事は少しテーマとしては「小さい」ものではあるが、インフラストラクチャーと成長変化する居住スペースを分離し、その仲に多様性を生み出してゆこうとする考え方は「メタボリズム」に通じる所がある。
記事によれば、この計画には4つのテーマがあると岡田は記している。
- ◇ 自然本来の美観を損なわないこと
- ◇ 建物が自然の形状に拘束されないこと
- ◇ 建物と自然との間に魅力ある空間を創造すること
- ◇ 安全かつ経済的に施工しうること
岡田が一言、言いたかったこと
この建物での岡田の守備範囲は「Organic Frame」(建築的に血の通ったフレーム)=Space Structureの提案部分であることは明白である。建物のデザインが自然とのあいだで魅力的であるかなど、記事に一言も書いていないところが、なんとも(笑)。
中空の要素でフレームを組み立て、軽量の材料で居住空間を作ってゆくやり方は、前川国男の晴海高層住宅にも共通するものがあるが、晴海は構造のための構造であったのに対し、岡田の提案は、構造すらも空間利用できるようにしようという提案である。のちに最高裁判所コンペで大規模にうたわれる「Space Wall」の原案であると想像する。
晴海高層住宅自体は、1957年に完成しているから、その姿を見てからの計画案であろうと思われる。当時、鹿島建設は鉄道建設をはじめとする土木工事に強い会社であったことから、コンクリートケーソンの組立技術などに関心をもっていたとも推測できる。その後、プレキャストコンクリートの技術は鹿島建設本社の建設にあたっても十分に発揮されることになる。しかし、今となっては、この提案をなぜ雑誌掲載したのかは知るすべがない。残念なことである。
構造のための構造体を追放する!!
この記事の最後に、岡田はこの言葉を語気を強めて記している。おそらく、これは岡田にとって若気の至りともいうべき発言ではなかろうかと私は考えてしまう。
当時は十勝沖地震前であるし、関東大震災以降、コンクリート建築に対する耐震性は福井地震での被害はありつつも、漠然とした安心感を提供していた時代。また、地震国日本で、コンクリートの高層建築物がどのような挙動を示すかは、コンピューターの未発達の時代、知る由もなかっただろう。岡田が良かれと提案したものは、技術の発展過程において生まれたあだ花(と言ったらまずいかな?)と言えなくもないと考えている。

平面ダイアグラム

断面ダイアグラム①

断面ダイアグラム②

晴海高層アパート(1997年解体)
晴海の高層アパート、もう一回トライできないんですかね?
晴海の高層アパートは私が学生の時に解体されたことが話題になったくらい古い話だが、逆算してみると、39年しか利用されなかったことになる。当時の理想を今の耐震技術で実現しようとしたら、もう少し長持ちする、サスティナブルなものにならないのだろうか。建築経済の観点を一度外し、かつての昭和の初期まで大阪の長屋であったといわれる、畳、襖、家財は持ち込み配置という「裸貸」という貸し方・やり方ができる建築は、可能性を残しているような気がしてならない。
大阪万博の、あの輪っか、それに使えないっすかね?

計画平面図:スペースストラクチャーがエレベーターになったり、階段になったり、パントリーになったり。