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OS-007|ルドルフと岡田新一とイェール大学②

ー0 ①同様、下記のサイトを参照させていただいております。

各サイトの執筆者の方々には前回に先立ち深く御礼申し上げます。

① https://note.com/taku_samejima/n/ndde4ce912201|イェール大学建築学科(YSoA)について

鮫島卓臣氏 / Takuomi Samejima
2020年3月5日 12:37

② https://note.com/kezama/n/n1f70cb57518d|サーリネン と サーリネン

kezama氏
2020年4月21日 15:01

③ https://note.com/taku_samejima/n/nde2d61aa6fc2|ブルータリズムからプルーラリズムへ:建築家ポール・ルドルフの多面性

鮫島卓臣 / Takuomi Samejima
2025年1月26日 15:43

④ https://architecture-museum.after-post-office.com/art-library/gordon-cullen-townscape.html

ゴードン・カレン/TOWN SCAPE に関する解説+「都市の景観」の解説


-1 イェール大学建築美術学部について

引き続き、1965年3月のSDに掲載されている「ポール・ルドルフのイェール大学建築美術学部」という記事を紹介します。前回は、岡田新一の海外留学の背景等について触れました。ポール・ルドフルという建築家のことを知れば知るほど、岡田新一が、当時の建築界において独自の方向を向いていたのだと思い始めています。

今日は、純粋に岡田新一が建築としてルドルフのAAスクールの何に共感したのかを追っていきたいと思います。

ただ、岡田新一にとってポール・ルドルフは先生なので、そのあたり、記事には忖度があるんじゃないかな、と思います。

最後に、岡田新一が翻訳をしたルドルフの「建築における地方主義」という論文を紹介し、この記事の解説を閉めたいと思います。

それでは、よろしくお願いいたします。

キャンパスのゲートウェーとして ルドルフがこだわった「尖塔」

ー2 オールドキャンパス・岡田の分析

イェール大学オールドキャンパス全景(google earthより)

岡田が感じ取ったエール大学のオールドキャンパスのボキャブラリー(意匠的な共通性)は、

◇ 250年の歴史を持つ1720年代のゴシック風の建築、コロニアル様式、ジョージアン様式と時間の連続に応じつつも、静かに統一的な雰囲気を持ったキャンパス。

◇ 擬ゴシック風の鐘楼を主に、各カレッジが競って持っている塔の垂直の表現と、その人間的スケールをもった意匠による分節

◇ 時代に応じて使い分けられた組積造の素材とツタの絡んだ意匠。

◇ 内構(コート):このような特徴をもった建物が、街区に沿って囲み型にコートを囲んでいる。市のざわめきからカレッジを隔離して、コートをうちに抱く機能をもつが、囲みは完全に閉じておらず、必ず一部が破れて他のスペースにつながっていく。その破れ方にも、多様なスケールがある。

◇ 濠(モート):水があるわけではないが、アイビーがそこに密生しているドライエリアがあり、街路との間を区別している。1階は路面よりも高いのでプライバシーが確保されている。

モート

コートの小道

コート内様子

尖塔アーチの小さな入口

ー3 エール大学の学生生活

1963年当時のエール大学は、13のカレッジ(学院)と9つの学部(スクール)からなる大学院から構成されていた。

カレッジは全寮制であるから、学生生活4年間を通じて学生たちの根城となる。講義は、学生が出向き講堂で講義を受けたり、教授がカレッジに出向きゼミナールを行うなど、学生生活はカレッジを中心に行われる。

1つのカレッジは私室、公室、教室や食堂などが完備された生活共同体である。コートはコミュニティーの広場のように機能する。

ー4 カーンのギャラリーとの関係

ギャラリーの壁に映り込むAAスクール

1952年、ルイス・カーンが設計したアートギャラリーは、一部破れていたコートの入口をふさぎ、セミプライベートな空間をコートとの間に作った。この場所は学生にも好評で、語らいの場となっていた。

そして10年を隔てて、それまで一部商業街の方へ流れ出ていたコートの空間がルドルフのAAスクールの完成により、閉ざされ、完成する。

エール大学オールドキャンパスのコートへの「ゲート」と称する意味が、ここまでの説明でやっとわかった。

そして、カーンのギャラリーによってはじめられたエール大学オールドキャンパスの新しい建設運動は、ルドルフの緻密に考えられたAAスクールの完成をもって古き良きエールとの完全な結合により完結した、と岡田は記している。

-4 ルドルフが意図した「コート」の縮図 

ルドルフは、岡田が示したエール大学オールドキャンパスのヴォキャブラリーを限られた敷地の中で様々な「違い」や「エッセンス」として取り込むことを意図している。

複雑なレベル構成は、キャンパス内の多様なスケールの調和を意味することはもとより、建築の教材としての「建物」である機能性についても考慮している。

また、ブルータルな外観に対し、ルイス・サリバンの株式取引所のエレベーターグリルを扉として転用したり、サリバンのガリック劇場からのコピーであるキャストプラスターの装飾を取り入れている。それらは、「建築空間と装飾(オーナメント)との間の基本的な関係である内部空間(インテリア)のスケールを和らげるために用いられている。

ルドルフの言葉の紹介として、岡田は以下のように記している。

「装飾を使うことを批判することは容易だが、その存在の効果は建築教育的にも寄与するのである。」

ルドルフはこの建築ごくわずかの種類の材料ーコンクリート、ガラス、天井に使用された吸音塗材を使用したにすぎないが、これは歴史に耐えうる建築である。歴史と相対するのではなくて、連繋を保ちながら不滅の命を獲得する典型である。このような蓄積によって都市が、建築環境が想像されていくことを思うべきだろうと結んでいる。

2階学生ラウンジ 写っているのはおそらく若き日の岡田

転用されたエレベーターグリル

キャストプラスターの装飾

-5 緻密なディテール

岡田は詳しく言及していないが、雑誌記事の端に、コンクリート壁と扉の取り合い部の断面詳細図が掲載されています。

岡田自身のこのコンクリートの仕上げに対する賛辞は最大のもので、「コンクリートのもつ可塑性と、意思の触感とを同時に表現して見事であった。このように美しいコンクリートの肌はいまだかつて見たことがない」と記している。

ルドルフの緻密なパースといい、こういった手作りのためのディテールに対応してゆく、当時のアメリカのコンストラクターの技術力に驚嘆するばかりである。

ー6 建築における地方主義:ポール・ルドルフ

やはり、アメリカの1960年代は工業化された材料が市場にあふれ、建築家が作るものさえも、同じような意匠になっていく現実があった。また、近代建築運動(モダニズム)=less is moreという流れが明らかにあり、人間が時間をかけて培ったその土地における建築的な機能性を無視、あるいは安易に工業製品に置き換える等により、文化ならまだしも、最低限満たすべき機能がみたされていないととらえる、ルドルフの主張が紹介されている。

ー7 地方主義という着眼点は「凡人」が対応できるスタートラインか?

ルドルフも、岡田も非凡なる建築家で、これまで記してきたことを見抜く「感性」を持ち合わせている。

だが、多様性と向き合い、解釈を与えることが「エゴ」となることはままある。それが陳腐化することで、日本では、「ディズニーランダライゼーション」と中川理氏が唱える公共建築のデザイン混乱が起こった時期があった。

理論には共鳴するが、この理論が、ルドルフ、岡田のデザインをけん引する核心とは思いきれない。やはり、技術に対する真摯な取り組みや、ことにあたる丁寧さに、この理論が上掛けされるから、社会が認めてくれる作品になるのではないか。そこは、もう少し岡田の残した文章と格闘してみたいところである。

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