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私が住んできた家の間取りを思い出してみた②

※ このコラム読む前に「私が住んできた家の間取りを思い出してみた①」をよんでくださると♡

鎌倉の国鉄大船工場近くの官舎

※ スケールはまちまちです。方角はあっていると思います。間取りは、さすがに、記憶が薄れてます。怪しいです。

これよりも前に両親は横浜市戸塚にアパートを借りて住んでいたそうですが、官舎が開いたので、こちらに引っ越してきました。国鉄大船工場がずいぶん前に廃止になってしまったので、つい最近まで広大な空き地になっていましたが、湘南モノレールの湘南深沢駅至近ということもあり、官舎はすべて取り壊され、マンション再開発が順調に進んでいます。ということで、実在しません。たぶん、唯一消えてしまった家だと思います。

コンクリート造の家ですが、当時、断熱なんてものはないので、北側の部屋は壁はカビだらけ。父親が良くペンキを塗りなおしていたのを覚えています。当然、壁は薄いです。このころ野球を始めたのですが、壁あてをやっていたら、さすがに怒られました。(笑)

(モノレールの画像はここから拝借してきました。)当時はまだ初期型のものしか走っていなかったので、子供心に「ウルトラマンカラー」をかっこいいと思っていました。大船の神尾耳鼻科に鼻炎の治療に通うときに一人で通院するのに使ってました。(神尾耳鼻科、まだあった)

お風呂は、マッチで火をつけるタイプのバランス釜だったと思います。お手伝いで風呂焚きをするのですが、マッチを擦って、ガス栓を開けて火をつける瞬間が爆発的に火がつくので怖かった記憶があります。便所は当然和式。でも水栓だったので清潔でした。

おじさんが大学生の時に3畳間に下宿していた時代があったと思います。たぶん、子供は姉さんと私の2人だったので、6畳間でみんなで雑魚寝をしていました。おじさんが卒業したので(?)妹が生まれました♡。小学校2年生まで、この家で5人で暮らしていました。3畳と6畳間の間に書き忘れたけど、押し入れがあったと思います。

どこの集合住宅も、このころは質より量の時代なので、同じような官舎が、並んで立っていました。でも、2階建てのちょっと部屋数が多くて独立した官舎も敷地の中にありました。えらい役職の人の家だったんですかね?。習字教室をやっていくれている人がその官舎でした。母親よりもずいぶん年とっていたような記憶がありますので、たぶん、偉い人の官舎。

家以外で覚えていることもたくさんあるなぁ

ここ、家の周りには、ドラえもんに出てくる空き地みたいなところが多くて、土管や廃車(それも客車や機関車、電車です!)がおいてあったりして、恰好の遊び場でした。しかも、モノレールが空中を通っていくのは子供心にワクワク。江の島まで一直線なので、海水浴に行くのですが、帰りは海パンでモノレールに乗っていた記憶があります。(昭和です。)ただ、工場地帯で急激に開発が進んだところなので、どぶに落ちると、ヘドロで真っ黒になり、友達から「くさいから寄るな!」といわれるようなところでした。下水処理、適当だったんだと思います。

結構長くなるな。シリーズ化しないと。いったん切ります。

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