いつも古い本ばかりですみません・読み直しは速く読めるから朝読書に最適
この本は新潟大学で西村伸也研究室に所属するときに購入した本。発想の道具箱 かたちについて多くの知識が詰まっています。
その当時は、設計課題を考えるにも、この本のテーマである「発想の道具」というものを駆使する感覚に乏しかった。一生懸命考えていれば、なんか「形」にたどりつく、というのが感覚的な状況。
大人になると、いろいろ「形」に対する発想の知識がついていって、容易に「形」には至るのだけど、それを自信もって説明するのが難しい・・・・そこで発想の道具箱の「かたち」に関する知識が役に立つのです。
か・かた・かたちの話

上に、故菊竹清訓先生の設計理論を示した図は、設計のときに悩みを整理する上のもやもやを整理する上で非常に重要な図だと思っています。
<か>:本質的な段階であり、思考や原理、構想
<かた>:実体論的段階であり、理解や法則性、技術
<かたち>:現象的段階であり、感覚や形態
・認識のプロセス:<かたち>→<かた>→<か>
・実践のプロセス: <か>→<かた>→<かたち>
この順番はわかりやすいものの、学生さん、あるいは菊竹先生のように、天賦の造形能力、構想力を持たないワタクシなどは上図の「→」のところで逡巡するわけですね。「→」は、やっぱり人間の「意図」「思想」「哲学」などの「言葉」に置き換えられるものが多いと思うんです。その時に「→」に行ったりきたりすることを建築設計で「悩む」ということなんじゃないかなと思っています。
菊竹先生の絵とこの本の関係について、私なりの解釈
菊竹先生の図は、本質は言い当てているけど、伊東豊雄をはじめとする菊竹スクールの素晴らしい面々以外は、駆使しえないところが残念なところなんですね。「誰でも建築家」と、言ったのは実は私ではなくて、この本を取りまとめた東京大学の故高橋鷹志教授、その先駆者である故鈴木成文先生らだと聞いています。誰でも建築家になれるように、「→」の方法論をカタログ的に示すものがあれば、「建築家」になれるんじゃね?という発想からだと思います。。
「誰でも建築家」というキーワードに対する理屈
そこに、実は「勉強」の話をぶち込めるんですね。岡田新一著作物の紹介序文で「勉強」の話をしました。そして「間」の話もいれてきました。「誰でも建築家」というのは、「→」つまり、間を埋める教養に目を向け、それを実践的に使えるかどうか、ということにカギがあることが25年の建築家人生でわかってきたから。発想の道具箱 かたちに助けられました。
そうか、システムマスタープランの話は、これか!
岡田新一は、上記の「か・かた・かたち」を、個別の物件ごとにわかりやすく示すことを目的とした「システム・マスタープラン(SMP)」というキーワードを晩年多用していました。物事には合理的に考えればたどり着く結論があるけれども、それは「形態」とは違うが、「ダイアグラム(短絡的には模式図)」にはできる。みんなが本質に向かって議論できるプラットフォームづくりが建築家の職能として非常に大事なものなのではないか、という発想からだと思います。(それを作るのは天賦の才なのかもしれないのですが・・・。)
「誰でも建築家」というのは、その過程を一回知ってしまえば、そうなるんですね。発想の道具箱 かたちの知識が深まる実践です。実際中途半端ながら私もそうですから。
最後に:この本の意味
この本は、以下のテーマに分けて構成されています。
- かたちのことば
- かたちの知覚
- かたちの技術
- かたちの幾何学
先般取り上げたモデュラーコーディネーションなど、いささか陳腐と思えるものから、CGの形態操作でグラスホッパーなどを使おうとしたとき、配列の関数を勉強しなおしたりするときに見直したり、いろいろ重宝する本なんですね。深堀は他の本に任せちゃっているとことはありますが。発想の道具箱におけるかたちに関します。
追伸:菊竹先生の方の今日的解釈をまとめてくださった方がいらっしゃいます。建築の話ではあるけど、菊竹先生の思考法の汎用性について「なるほど」と思わせてくれるコラムです。
https://note.com/academyhills/n/n1a26f88fc6f8?sub_rt=share_pw
今日の朝読書でした。
