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悪と全体主義|ハンナ・アーレントから考える・仲正昌樹

ハンナ・アーレント著「全体主義の起源」に挫折し、解説本に走るワタクシ

 ハンナ・アーレントは1907年に生まれ、主に1950年代~70年代にかけてアメリカで活躍した政治哲学者です。彼女の代表作『ハンナ・アーレント エルサレムのアイヒマン』を含む著書を通じて、特に西欧諸国の政治思想に大きな影響を与えました。仲正をはじめとする多くの研究者は、アーレントがナチスドイツを逃れ、アメリカへわたってからの著作を中心に、思想哲学を解説しています。

 息子がドイツに留学し、右傾化と移民の流入問題をまのあたりにしてきている中、いろいろ聞きたいこともあったりするので、やはり、現代ドイツの混乱を読みとく鍵として、ナチスの時代について勉強しておくべきだろうと思い、直接、アーレントの著作に手を出しました。

 理由は「エルサレムのアイヒマン」の内容を知っていたから。この数十年で、ナチス=「ヒトラーの邪悪さ」という直接的な善悪の構図は歴史学の中では否定的に取り扱われるようになっています。その先鞭をつけた著書ではないかなと思います。やはり、ドイツ国民に「凡庸」な悪が広がっていたのだろう、というのが昨今の一般的な理解で、先般のNHK「20世紀映像の記録:バタフライエフェクト」でも、とある将校の妻が、ヒトラーという「法」に信頼を寄せ、死ぬ前のインタビューでもその信頼を口にしている、過去の映像が報じられていました。

じゃあ、その総論である「全体主義の起源」が読破できたかというと・・・半分で挫折しました。訳書、哲学書ってホント難しくて、眠くなっちゃう。ハンナ・アーレントの著作を読み進めるために、仲正の解説を参考にしました。こちらの本に手を出し、手っ取り早くハンナ・アーレントを理解しようとしたわけなんですね。

「凡庸」な悪の正体

簡単にアーレントの著作、「エルサレムのアイヒマン」について触れておきます。

アドルフ・アイヒマンはナチス親衛隊(SS)の中佐だった人物で、ユダヤ人を強制収容所や絶滅収容所に移送し、管理する部門で実務を取り仕切っていたといいます。アルゼンチンに逃げ延びた彼は1960年にイスラエルの特殊機関モサドにより拘束され、イスラエルへ強制連行されました。その後、エルサレムの法廷で裁かれ、死刑に処せられます。

アーレントはこの一連の流れをすべて取材し、「エルサレムのアイヒマン」という著書にまとめます。アイヒマンは「法」に基づき、与えられた任務をこなした。私自身には罪はないという主張を通し、死刑に処せられたという事実を論考した著作です。


ここから、やっと、「悪と全体主義」の内容についてです。作者の仲正氏は下記のようにアーレントの功績をまとめています。

「悪は平凡なものではなく、「悪を行う意図」をもった非凡なものであるという思い込みと期待、あるいは偏見、近代の法体系すら、それを前提としている。人は、時に道徳と法を比べることを打ち捨てる思考停止に陥る生き物である。」

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「アイヒマンがヒトラーという「法」に服従しただけだったとしても、「政治においては服従と支配は同じ」であり、特定の民族や国民との共存を拒み、人類の複数性を抹殺しようとしたヒトラーを支持し、計画を実行した人間とはもはや地球上で一緒に生きてゆくことはできない。それが彼を「絞首刑」に処す「唯一の理由」であり、それ以上のことは追及できないということは明らか・・・死刑を選ぶ道徳・論理として正しいか?」

つまり、アイヒマンのような「凡庸な」人物を悪の権化、悪魔のような人間としてその人格を問題にするような形で責任を追及しようとすれば論理的に破綻してしまう。その点においては、正しさに疑念が残ることを、ユダヤ人社会を含め世界に問うたということが功績であろうということです。ハンナ・アーレントはこの点を強調し、エルサレムのアイヒマンを通じて理解を深めました。

日本における考察と、仲正氏の考えを踏まえて

残念ながら、この数か月、兵庫県、フジテレビのことなど、悪をあぶりだす論調が世の中に渦巻いています。複雑なものを複雑なままに解きほぐすには、言論に「間」が必要だというのが仲正氏の考えです。「間」を作るのも人間だと言っています。政治的中道勢力とか、そういう使い古した言葉ではない「間」の存在に勇気をもって向き合い、時として、その立場を理性的に責任をもって負う、ということかと。

そのヒントが、数年前に話題になったマイケル・サンデル教授の「白熱教室」だといいます。一つ一つの事情を、忖度なく紐解く姿勢、それを理解しデウスエクスマキナ(deus ex machina)とは言わないが、決め事にしてゆく権威(国家像)を世界中が見失い始めています。アメリカ、韓国、そのほか、これは、いろいろな政治体制を抜きにして、国という主権と大衆を幸せな関係にもって行く上での重要な視点だと考えさせられました。

じつは建築って・・・・

そうなんです。近代建築運動以降、主義主張でちょっと前まで論争をしていました。結果、みんなどうでもよくなってしまって、「間」がないんです。俺はモダニズムを大事に、俺はやりたい建築を、だから「都市」に建築が紐づいていかない。でも、若い世代の心ある建築家は社会との接点を大事にしつつ、そういったことが建築家団体から評価されてきてもいます。大きいところが変わっていってほしいなぁ。ハンナ・アーレント エルサレムのアイヒマン アーレント アイヒマン 仲正を学ぶことも変化の一歩です。

そこは私みたいなオジサンでたくさん経験を持っている人の仕事なのかなというのがちょっと自覚できた本でもありました。

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