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集合住宅を建築計画学がどのようにとらえていたかを学びなおす|その①

東雲キャナルコート、辰巳第一団地について、昨日レポートを書きました。
日本において、集合住宅が建築計画学でどのように扱われてきたのか、復習しました。

大学の時に買った教科書を引っ張り出してきて読み直しました。結論からすると、東雲キャナルコートの規模、密度は研究の想定外だったということかと思います。

鈴木成文先生は、東京大学工学部建築学科吉武泰水研究室に属し、先生の指導のもと、建築計画学、特に集合住宅に関しての体系的とりまとめを行った先生です。

東京大学にて建築計画学専攻の研究室教授を勤めたのち、神戸芸術工科大学の学長として、「文文日記是好日」をWEB上に発表、それらは9巻の随筆集として神戸芸工大の学生に愛されたといいます。

建築計画:実教出版1975年」の第5章:集合住宅の部分を読みなおしたいと思います建築計画学における鈴木成文先生の先見性について改めて確認しました。

ー1 集合住宅研究のキーワード

◇ 外からの規制としての都市環境との対応「密度・建築形態」
◇ 生活との対応においての「集合」「領域」の問題
◇ 個別の「住戸」の問題

ー2 集合住宅の発達要因

集合住宅は、その背景となる社会条件から見れば、人口の都市集中に伴う高密化の要請によって発達したものである。
古来、土地に親しんできた人間にとって、最も自然であり望ましいのは地面に接した低層住宅である。だが、密度が高まればスラム化が進む。

日照と通風、それと近代労働集約型の産業形態に対する労働力の供給拠点として、ル・コルビュジェをはじめとする近代建築の推進者たちが行き詰った都市環境の再生のために、積極的に唱えたのです。

コルビュジェ「300万人の現代都市」(パリ改造計画案1922年)

ー3 アメリカ・日本における特殊要因と高層化問題

20世紀、最も資本集中と都市化が進んだアメリカでは、プルーイット・アイゴー団地に代表される、公共空間と私的空間のあいまいさから、犯罪の増加を招きスラム解決のための高層化が逆に再スラム化を招くといった問題が起こりました。
日本においては、民間高層分譲集合住宅(マンション)が日照や環境問題を各地で引き起こし、近隣環境の質的低下を引き起こしたりしました。

密集市街地内の再開発で密度を高くするために行われた高層化の例 
大島6丁目団地(1971年)

ー4 密度と住棟形式について

ここに、1970年代にどのような密度尺度をもって集合住宅(共同住宅)の設計にあたっていたのかを示す表を示す。ここに示す密度はネット密度を呼ばれるもので、住宅用地のみに対する密度(=学校等や公園などを含まない)です。高層住宅でさえ200%の容積率までしか示されていません。通常タワーマンションが計画されるような敷地は容積率は400~600%くらい許容されている土地ですから、集合住宅研究者が居住環境として想定していなかった集住の密度と考えることができます。

密度と住棟形式

ー6 集合の計画パターンについて

集合住宅の計画パターンは世界各地で様々な形が研究されてきました。その国の経済力、立地の自由度や入居対象者などの要因でパターンは選定されることが多いです。
戦後の復興のため、大量の住宅供給が必要であった日本は、(1)の形式を採用したものを1950年代~70年代にかけて大量供給しました。その後、経済復興と共に、分譲マンションとしてコストを抑えた(2)や、多様な住戸タイプと建設コストの両立を図るための(3)なども増えてきました。

ですが、それでは、高密度化に限界がでてきます。結果として現在のタワーマンションで主流となっているのが(4)や(5)の形式です。鈴木成文先生は、(4)(5)の形式は、防災の観点や、住戸の特定(部屋を間違えない)の観点から考えたとき、日本での一般化は望ましくないと示しているのですが、時代は逆の道を進んでいっています。

共同住宅(集合住宅)の形式(アクセス形式による分類)

ー7 領域形成に関して

人々が集団的に居住するときに、人は自分の住戸を核としてその周りに一種の領域を持ちます。

俗に「なわばり」といわれるものに近く、心理的に自分のものとして感じ、それ以外の場所とは異なった一種の親しみを覚え、また、なにがしかの「自分のもの」という感情を抱く空間のことである。
従って集合住宅の計画においては、個々の居住者の領域がいかに形成されるかということを常に想定し、それが拡大し、確定することを促すように空間を構成してゆくことが望ましいです。

領域の概念図

ー8 グルーピング

住宅団地において、膨大な数の住宅がただ漫然と並んでいる状態からは居住の場としての安心感は得られない。住棟の内部でも、それが大規模・高層棟になれば、同一型の住戸がただ行儀よく並んでもそこには安定して居住できる雰囲気は生まれない。

ただし、このグルーピングは一般論では語れないとされています。それは集合住宅の必要性を考えれば明らかで、これまで関係のなかった他人同士が気持ちよく領域形成できるようなきっかけを用意するということが目的です。
そのためには、いろいろ試してみることが必要ですが、住宅の大量供給が必要であった時代には、建築としての試みは難しかったのかもしれません。

グルーピングモデルの構成例ツリー構造に限定されるわけではない

ー9 クラスター形成

グルーピングからもう一歩踏み込んだ考え方にクラスターという考え方があります。50~100戸単位を想定することになりmasu.

全員が顔見知りになることは不可能ですがゴミ捨て場の共有管理や、集会室の利用などを取り仕切るには大事な概念です。
ここでも触れていますが、クラスターも一般論では語れない概念です。

また、グループ、クラスタ―といった段階的構成が大事だあると言っているわけでもありません。要は、何らかの網掛けが意図を明確にして行われるべきだということです。

ー10 異なる要素の複合と要諦

この部分は、鈴木先生の文章を多少長いが引用しておきたいと思います。人間は老います。

住宅を使い捨てにするから社会が緩やかに分断されていってしまう側面はあると思います。

…一般世帯用住戸の中にも単身者住戸群や老人用住戸群が混在するのも望ましい姿である。

このほうが、大規模な単身者用住戸棟や老人住宅のみの集団を作るよりも、一般都市社会の姿に近くより自然な近隣社会が得られるだろう。

このような複合はしばしば管理の手間が増大するという理由で嫌われるが、住宅は管理のためにあるのではなく、良い居住環境を実現することを目的として行われることを忘れてはならない。

また、異なる階層、異なる年齢層の人々が混在したり子供のある家とない家が互いに隣接することは、無用の衝突や目に見えぬ摩擦を生じるのでなるべく避けるべきだとの意見もあるが、画一性のもたらしている大きな弊害について目をつぶるべきではない。

P144ページから引用

複合の在り方についての考察ダイアグラム

ー11 アクセスの方向性

ここも、鈴木成文先生の主張が色濃く出されているところです。

(やっぱり長くなりますが)文章を引用しておきたいと思います。

住戸の集合規模が大きくなるほど、その中で自分がどこに居るかという位置づけの間隔の得やすさが要求される。全体の中において、自分の位置が実感されるということは安定した領域の形成を助けるものである。
領域の形成を保証するためには、集合住宅の環境は、内から外へ、プライベートなものからパブリックなものへの構造が明確でなければならない。

この為に、アクセスの通路空間がもつ意味は極めて重要である。住戸近辺は空間のスケールも比較的細かく、離れるにしたがって大きくなるような構成は好ましい。
通路空間における<プライベート→パブリック>の性格は連続的に変化するというよりも、道筋の途中に何段階か変曲点とでもいうべき箇所あると思われ、その地点が同時に領域形成上の節を形成する。
例えば、住棟入口、各階のホール、ホールから通路への入口、通路から住戸群への入口などでその節となる場所を明確に意識できるように設計すれば、領域形成も明確になるだろう。

具体的には、その場所に扉を設けるとか、入口を狭めるなども一つの方法であるし、また、この部分に人々の溜まるスペースを設ける、あるいは遊び場やベンチを置いて印象づけるなども効果的である。

さらに、床の高さや天井高の変化、床仕上げ、壁仕上げの切り替え等、様々な手法がある。

・・・中略・・・

高層住宅ではエレベーターを昇りながら棟外を眺められるようにすること、エレベーターホールで棟外を眺められることなどは有効である。

中廊下型や集中型は単に住戸の居住性だけの問題でなく、通路において視界を閉ざされ、方向感覚を失わせるという点も大きな短所となるのである。

P145 ~146

プライベートとパブリックの領域は方向性と一体

ー12 スケールの分節と住戸の識別性

この点は様々な事例、図表をみていただくことで理解ができると思います。
下の図は、大きくなったスケールをどのように分節してゆくかを示した図です。

下は、住戸の個別性を表現するには、どのようなデザインがありうるかという事例。

そして最後は、やり過ぎると混乱を引き起こしますよ、という事例。(個人的には好きなんですけどね。)

ー12 長くなったので、まとめます

今回は鈴木成文先生が1970年代にまとめられた主張の前半部分を、取り上げました。

都市居住は、どうしてもお金に左右される面があります。

先生の主張が、取り入れられるどころか、退化してしまっている部分があります。

先生自身も、「高層化」の在り方を具体視できていない時代に研究をされていました。

規模に対する目線が現代で起こっている問題からずれてしまっていることも言えると思います。

住宅は衣食住の中に入るものなので、本来は憲法で定められた生存権にかかわるものです。

ですが、官が住宅供給を民間市場にある時期から頼り始めた1970年代以降は状況が変化しました。

一つ一つの個体の質は多側面で向上しつつ、公営住宅があることによる社会の観察眼が官から失われてしまいました。

ー13 大きいことに対する研究の順応

さて、東雲キャナルシティーは、こういった研究内容を踏まえた計画といえるかといえば、個人的には頑張っていると思います。

ただ、デカすぎることで方法論のズレが生じてしまっている。集合住宅研究は、建築計画学の研究対象の中でも、取り扱う規模がどんどん小さくなってきている。建築家側も、確たる理論で設計していないことが、違和感につながっているのかなと思います。

経済に負けちゃっている点もあります。
東雲キャナルシティーのような規模の大規模な開発、つまり背丈にみあった方法論を水平展開できるくらいに建築界は努力したほうが良いのではないかというのが私見です。

・・・・本当は住戸プランニングのところまで一緒にと思いましたが、始めると長くなりますね。

②をかきますので、また読んでください。

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