先に、素晴らしい参考文献を上げちゃいます
勉強不足の私には、イェールのことなんか大上段に立って解説することなどできないので、世の中の方でニューヘブン(まさに建築天国)へ出向かれ、中にはイェール大学で勉強した方の言説を一通り読ませていただきました。その前知識をもって、岡田の文章を解説してゆく方向で、書きます。
① https://note.com/taku_samejima/n/ndde4ce912201|イェール大学建築学科(YSoA)について
鮫島卓臣氏 / Takuomi Samejima
2020年3月5日 12:37
② https://note.com/kezama/n/n1f70cb57518d|サーリネン と サーリネン
kezama氏
2020年4月21日 15:01
③ https://note.com/taku_samejima/n/nde2d61aa6fc2|ブルータリズムからプルーラリズムへ:建築家ポール・ルドルフの多面性
鮫島卓臣 / Takuomi Samejima
2025年1月26日 15:43
④ https://architecture-museum.after-post-office.com/art-library/gordon-cullen-townscape.html
ゴードン・カレン/TOWN SCAPE に関する解説+「都市の景観」の解説
現地の体験、書籍の歴史、内容を通じてまとめてくださった方々、大変参考になりました。まずはじめに御礼申し上げます。
今回紹介する岡田の著作物は濃厚です
今回は、1965年3月のSDに掲載されている「ポール・ルドルフのイェール大学建築美術学部」という記事を紹介します。・・・が、この記事、20ページ、しかもルドルフからの寄稿文もありのとんでもないボリュームです。 さらに、1965年4月のSDは「SOMのベイネック図書館」の特集が、これまたかなりのボリュームで掲載されています。鹿島出版会ですからね、留学帰りの岡田に何か書かせないと、鹿島一族が思ったのは当たり前です。 先の投稿にも書きましたが、1960年にCIAMが崩壊し、モダニズムに対する信頼が一気に失われていく中、イェール大学の中に立つ、この2つの新作の岡田目線の比較論は、何回かにわけて書かないと追えないですね。なので、今日は題名に「①」と後ろにつけちゃいました。

改めて、岡田がアメリカに渡った時代背景
岡田がアメリカに渡ったのは1962年~1963年の2年間。62年はイェール大学で過ごし、63年はニューヨークのSOMで仕事をしていました。岡田は東京大学時代、建築計画学の始祖、吉武泰水先生の門下生であり、丹下研究室の面々とは少し毛色の違う教育(建築計画学の立ち上げ)を受けてきた人です。多くの同窓生が研究者の道を選ぶ中、岡田は鹿島建設建築設計部へ進みます。その時を振り返り、ゼネコンの設計部に入ってみたら、建物は平面図を描いて、そのまま立面図をつけるだけ、というような設計方法への疑問が募ったと言っています。
その当時はCIAM東京大会の中止など、イギリスの経験主義的発想から、時間軸や都市の有機的成立に着眼し、理屈一辺倒では建築と都市は扱えないとするグループが出てき始めた時期です。ゴードン・カレンは1947年頃からアーキテクチャー・レビュー誌にタウンスケープ論を発表し始めて、その成果を『TOWNSCAPE』と題された本にまとめ、1961年に出版しています。原著が岡田新一設計事務所の本棚においてあります。おそらく、岡田はそういったものに触れながら鹿島建設時代の前期を過ごしていたのだと思います。
岡田との会話の記憶から背景を整理
デザインの勉強をしたいという思いから、イェール大学への短期留学を決意。もちろんそこには鹿島建設の後押しもありながらです。その当時飛ぶ鳥を落とす勢いでアメリカで活躍していたポール・ルドルフへのあこがれが多少なりともあったのかは定かではありませんが、岡田はルドルフの教えを受けるため、アメリカにわたります。妻と共に留学という、なかなかの企てでした(笑)。
岡田との会話の記憶から留学の驚きを整理
まず驚いたのが建築教育の格差といっていました。日本では、よほどのことが無ければ、模型を作れるような時代じゃなかったのだと思いますが、イェールではみんなが模型を作って建築の考えかたのプロセスを共有しながら学んでいる。これは、ルドルフが建築教育の改革を行っていた時期と重なるため、かなりアメリカでも斬新な建築教育手法だったのだと思います。その教育から、リチャード・ロジャースやノーマン・フォスターが生まれたみたいですから。
そんな背景を背負いながら、岡田はニューヘブンのイェールキャンパスについて思いを語ってくれました。
移動景観(シークエンス)と都市的文化構造による紐解き
今回の著作の冒頭、少し長いが、岡田のニューヘブン入りを語る冒頭部分を引用します。(当時はイェール=エールなのでそのまま転記します。)
「環境との連繋/岡田新一
二つのゲートウェイ
エール大学の建築から鋭い交感を受けた経験が2度ある。
1962年の夏、エールに入るためにニューイングランドの美しい樹林におおわれたメリットパークウェーを走っていた。緑濃く豊かなー日本でも欧州でも見られない豊かな樹々であるーパークウェーから大学のあるニューヘブンの北で分岐した道がブロードウェーに入り、急に開けた視界の中に、サーリネンのカレッジの塔を見出した時、思わずエールに入る緊張に身を引き締めらせた。
他の経験はエールを去ってからであったが、ルドルフのAAスクールの竣工式に招かれてUSターンパイクからニューヘブンに入り、チャペル街の突き当りにーAAスクールは道がわずかに折れ曲がった角に位置しているから、この道を下ってくると正面に望まれるのだ(図)ー竣工したその姿を、見出した時であった、前者が大学の背後からのゲートウェーを構成し、他が正面からのそれを構成するという、その位置の重要性をともに見事に表現して大学都市内に位置付けているのである。」

エールのスカイライン

AAスクールからのキャンパス遠望

図 エール大学マップ(左下がルドルフのAAスクール)

チャペル街の突き当りのAAスクール 右側はルイス・カーンのアートギャラリー

チャペル街のエレベーション 左がAAスクール(スキャンが曲がってしまってました)
この論文で言いたいことの半分は「都市と建築」
論文は、前半はイエールのオールドキャンパスの形態分析と、使っている材料、空間構造の分析で占められている。後半はルドルフがこの建築で意図したこと、それに対する学生のアクティビティーの考察などである。後半の解説、考察は②に譲るとして、前半にあたる部分をもう少し深堀してゆきたいと思います。
ルドルフの意図とは
上に、ルドルフが描いた精密な立面図を掲載した。オールドキャンパス内を超えない高さと街並みの分節に対する配慮はルドルフの意図を非常によく象徴している。一方、岡田は、カーンのアートギャラリーについて(ルドルフの意図と比べ)成功していない、と言っている。もちろん、その端正な壁があってこそ、ルドルフの「ゲートウェー」の意図が生かされていると思うので、ルドルフとしては織り込み済なのだろうと私は思う。
少しいたずらで、ルドルフと岡田が共鳴したエールのキャンパスが、今はどうなっているのかGoogleで確認してみた。遠景に、多少新しい建物があるが、60年前と同じ景観が保たれている。尖塔のスカイラインは健在。そして、ルドルフと岡田が読み解いた都市景観は見事にその骨格を保ち続けている。生きながらえる建築を創るという行為は、こういう事実からスタートするべきだ襟を正しました。


2枚ともgoogle earth Pro を利用して抜粋
しかるに、ルドルフ先生の不運
エール大学はキャンパス計画を現代化させるために、A.W.グリスウォルドという人物が総長の時代に現代建築の要素を取り入れながらも、様々な新進気鋭の建築家が建物を作った時代があった。
AAスクール完成後に、その総長が死去することとなった。以降、保守反動の動きもあり、ルドルフのAAスクールは機能面の不備など(採光、広さ)をやり玉にあげられ、ルドルフはエール大学をやむなく去っている。岡田は、あまりルドルフ評を我々所員には話をしなかった。複雑な思いを持っているのではないかと推し量らざるを得ない。
先にあげた鮫島卓臣氏のルドルフに対する考察は、60年代以降、トラブルから、キャリアに苦しみぬいている側面を感じざるを得なかった。
懺悔:某大学キャンパス計画の作業を思い出して
実は、この文章を読んだのはこれが初めてで、読みながら思い出したことがある。
成果は上がらなかったが、某大学のキャンパスの角地に建物を建てる計画を立案した時に、通り全体の立面図を作るように岡田から命じられたことがある。意図がわかっていれば、もう少し表現も頑張ったかもしれないが、さすがに3mの長さのまきもののような立面図を密度高く書くのは大変。表現を端折ったところも多かった。ルドルフの立面図を見て、「岡田先生、ごめんなさい!!」と思ってしまった。
最後に
岡田は、最後に以下の言葉でこの論文を結んでいる。
「ルドルフはこの建築にごくわずかの材料の種類ーコンクリート、ガラス、天井に使用された吸音材ーを使用したにすぎない。これは歴史に耐えうる建築である。歴史と相対するのではなくて、連繋を保ちながら不滅の命を獲得する典型である。このような蓄積によって、都市が、建築環境が創造されていくことを思うべきであろう。」
なにかに向かうとき「全部つながっている」と教えられ、自分の理解に確信を持ちながら建築を創る姿勢は今も大切にしている。どんな仕事でも、周りからの手がかりに耳と目を傾けていきたいと思っている。
次回②は建築計画、空間論の側面でこの記事を読み解いていきたいと思う。
