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書評|どの宗教が役に立つか・ひろさちや

大学1年生:理研究会の人に上がり込まれて、宗教勧誘にあったあと

大学3年生の時に、オウム真理教の事件があった。私の大学もその系統の人たちが活動していて、友人が宗教がらみで失踪してしまったり、穏やかでないことがオウム事件までは大学で起こっていた。

もちろんそれまでは、勧誘活動も盛んで、一人暮らしで、押し売りを追い払う作法も知らない1年生は恰好の餌食。たぶんにもれず私の家にも「かわいい」女子をつれて3人の原理研究会の人が勧誘にやってきた。時はバブル崩壊後、世相はソビエト崩壊後、世界は様相をガラッと変えつつある時期・・・強くあるべきは精神、修行は大切、いまがその修練の時期・・・なんて勧誘をされた記憶があります。

結局、新潟の冬なので、なんか、かわいそうに思って家に上げてあげました。お茶まで出してあげて、夜0時くらいまで家に居座って勧誘されたんですね。ただ、「修行」が足りない人たちでよかったです。洗脳はされずに、今を過ごしております。

次の日に、宗教って役にたつのかな?という素朴な疑問から手にとりました

で、大学の生協で手に取ったのが、「どの宗教が役に立つか」という背表紙のこの本です。残念なことにひろさちや先生は、一昨年お亡くなりになられたみたいですけど、宗教的自分の立ち位置を「なるほど」と思わせてくれた本です。30年ぶりに書棚から取り出して、一読しました。いろいろ、気に入った下りがあるので、今日はメモ形式で紹介していきましょうか。


①今の日本人はほとんどが「科学教」の狂信徒である

・・・科という文字は「禾(イネ)」という文字と「斗(マス)」という文字の会意文字で、作物をはかって等級をつけることを示す。すべての物事の等級を科という」(学研漢和大辞典)と解説されているように、対象を部分に分けて分類するのが「科学」の意味である。

・・・科学は全体をばらして扱う。例えば「健康」がそうだ。(中略)これはそっくりそのまま現代の日本に当てはまる。日本の医学は輸血だけで100日以上患者を生かし続ける技術をもっていても、安らかな死(それが幸福だ!)を与えることができない科学的医療だ。・・・本当は丸ごと全体を扱わなければならぬということを忘れて、全体をばらして扱う「科学的やり方」が最善だと今の日本人は信じて疑わない。・・・今の日本人はほとんどが「科学教」の狂信徒だ。

②幸福を量で計る愚

・・・幸福とは全体的なものだ。金の面では幸福、愛情の面では不幸・・・合計して六割の幸福。そんなバカげた計量化がきるものではない。・・・幸福をバラバラにして飢餓状態を作らされる「科学教」。そこでは極端が求められる世界である。その隙間を狙う輩(注:作者はインチキ宗教としてます)もそこをついてくる。

③日本人「労働神事説」:働くこと自体が神に仕えること

・・・日本人にとっては、働くことそれ自体が神に事えることなのだ。まさしく宗教行事なのである。・・・日本人にとっては、働くことはいわば「御神輿」を担いでいるようなものだと考えている。・・・中には御神輿にぶら下がっているやついる。会社には人の仕事の邪魔ばかりしているやつがいる。だが、そういう奴がいてこそ御神輿(職場)は楽しいのである。それが日本人の労働観である。そこで、そんな楽しい職場から締め出された女性たちが「不平等だ!」と騒ぐのである。(※ これは作者の言葉ですよ。でも女性の皆さんも、意味を見出すから男性と一緒に働くんですよね?)

・・・依さし」という観念に、「労働神事説」をみる。この語は古代の「祝詞」(祈年祭祝詞)にでてくるもので、「委任する」といった意味のものである。神様は農民に稲作の仕事を委任された。したがって、稲作=労働は神様の「依さし」であり、神事である。

④大岡裁きのペテン

(神のみぞ知るとの信頼に根差すキリスト教では、どうしてもわからないことに対して)・・・サイコロを転がして死刑か無罪かを決める。日本人からすれば不謹慎極まりない話であるが、キリスト教ではそれでよいのである。キリスト教の裁きは我々日本人の「裁き」とまるで異質な原理にのっとっている。

・・・「実母継母の子供争」:一人の子供をめぐって2人の女がこれば私の子供だと言い争う。どうしてもわからない。越前守は「子どもを真ん中において、二人が両方から手を引きあえ。買った方に子どもを渡すと致そう。」という。引き合えば子どもは痛いと泣き出す。一人の女は手を放し、もう一人の女は子供を抱き寄せた。そのとき、越前守が「まことの親であればわが子の不憫さに思わず手を放すであろう。まことの親は手を離したほうの親である。」

・・・ここに日本人の性格が良く表れている。わからぬものはわからぬ。なのに、知恵を絞り人間的努力で白黒を決めようとする。・・・日本人は絶対に天命を待てない。人事を尽くして、その上に人事をさらに尽くす。

・・・エリート代表の越前守が「人間主義」(ヒューマニズム)の信奉者である。

⑤さあ、帰ろうか八、この上のことは神様がしてくださるよ

逃げていく犯人がそれで幸福になれるか、かえって不幸になるか、それはわからない。しかしそこまで我々人間が責任を持たなくてもいい。後のことは神様がさばいてくださる。平次はそう言っているのである。

・・・・庶民代表の銭形平次は神様を信じている。だが今では「この上のことは神様がしてくださるよ」といわなくなった。淋しいことだ・・・・と


50歳の私が30年ぶりにこの本を紐解いて思ったこと

この5つが50歳を超えた私には一番響いた言葉です。当時とそんなに変わっていないけど、付け加わったのは、④と⑤の大岡裁きのペテンのところでしょうか。大学院卒をエリートと呼んでもらえるかは、外の世界から見られるとそうなんですけど、建築設計の学歴としては、銭形平次レベルです。このくらいの義務感で生きていったほうが今はちょうどいいなぁ・・・って思ったわけですね。

それと、世の中もこんなくらいがちょうどいいよねって思い始めています。SNSで無駄に知識をつけて人事をつくして、みんなが白黒つけるために対立するよりは、「ああ、そう。悪い方に天罰が下るよ」くらいに思うほうが、適当に「間」ができて、世の中冷静になるんじゃないかなと思うわけですね。

他の宗教のこともいろいろ書いてあるけど、きわめて日本人っぽい私は八百万の神を信じて品行方正につとめ、仏様の教えを究極の哲学ととらえて生きていますので、それはそれ、いいことはいいという見方ができる人間には成長できたと自負しています。少なくとも、宗教で喧嘩になることはなさそうです。

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